最近ブログが長くなっているので、今日から「ですます」調をやめて、「である」調にすることにした。読者の皆さまを粗末にするつもりは毛頭ない。私は、常に他者をリスペクトすることを基本的な姿勢としている。
それにしても妙なタイトルになった。まぁ、よい。秋は果物のおいしい季節だ。私は特に梨が好きである。困ったことに今年は野菜や果物がやたら高い。梨ひとつ買うのに悩むくらいだ。
幼い頃、よく母が梨を切ってくれた。我が家では梨は輪切りにされて皿に盛られた。皮は剥いてあるが、リンゴのように立てに8つ切りにされることはなく、水平にスライスされている。
芯の部分は、当然円形になる。芯のところを親指と人差し指で上下に挟み、円形を残しつつ、クルクルとかじりながら食す。ジューシーで美味い。
ある日、母の友人の家によばれ、梨を母と一緒にいただいた。皿の上にはリンゴのようにカットされた梨が乗っていた。母が言った「あら、梨はこんな切り方をしてもいいの?」
母の友人は首を傾げつつ「なんのこと?」と言う。これはリンゴの剥き方で、梨は輪切りにするのが正しいのだと母が言うと、友人は驚いたような顔をした。
どのような切り方が正しいのかは私には分からないが、我が家では梨は輪切りにするものという「正解」があった。だが、我が家のほかで、梨を輪切りにしているのを見ることはない。
普通に考えれば、芯を残しつつ手を果汁でベタベタにしてかじるより、リンゴのように切った方が食べやすいし、上品である。なぜ我が家では輪切りが続いていたのか、ずっと謎のままであった。
最近になって気づいたことがある。梨の値段が高いからという理由で、リンゴ切り(料理用語では「くし形切り」と言うらしい)にするとき、芯の部分を浅めにカットすると、折角の美味しい梨に芯の苦みが残るのだ。
輪切りにすると、切り方によらず芯の苦みを避けながら、自分の好みのエリアまで自由に食べ進めることができる。これは、もしかすると梨を最大限おいしく食すことのできる独自のカット方法なのではないか――我が母は、スゴイ。やはり最高なのである。