加賀乙彦さんが1月12日に亡くなられました。享年93歳。東大医学部卒の異色の文学者でした。同じ東大医学部卒の先輩に安倍公房がいますね。
加賀の小説は、結構難解なのでお読みになられてない方も多いと思います。処女作『フランドルの冬』とか、死刑囚の苦しみを描いた『宣告』とか。
僕の中では加賀といえば『ある死刑囚との対話』です。加賀の「絶対的作品」と呼ぶのも変ですが、正座しないと読めない本です。『宣告』の原点となる作品でもあります。
「バー・メッカ殺人事件」の犯人である正田昭をモデルにした小説が『宣告』です。事件の概要は下記の通り。昭和28年のまだ戦後間もない頃に起きた衝撃的な殺人事件でした。
1953年7月27日、東京新橋のバー・メッカの天井から血が滴り落ちてきたため、屋根裏を調べるとひどく撲殺された遺体が発見され、現金41万円が奪われていたというもの。
主犯は正田昭24歳、慶大を卒業したエリート会社員でした。裁判で正田が被害者及びその遺族に対して一切の謝罪を行わなかったため裁判官の心象も悪く、死刑が確定したとも言われています。
正田は獄中で福音に接し、カトリックの洗礼を受けたのち模範囚となります。死刑確定後は美絵と言う一人の女性と文通交際を始め、彼女が心の支えとなり、獄中で小説を書くようになる。
加賀は、獄中の正田との交流や、家族や美絵への取材に基づき、1979年1月に正田をモデルとした小説『宣告』を発表(日本文学大賞受賞)しました。
正田が分裂病気質で知能の優れた家系に生まれたこともあり(父は弁護士だったが自死。兄は教職だが正田への暴行が酷かったようです。)、精神科医である加賀の興味を引いたとも言えます。
のちに加賀は、正田について「私は正田昭からキリスト教を学んだと言える」、「死刑囚からキリスト教を教わり、そして信者になる。まさに私の恩人の一人」と発言しています。
加賀と正田のやりとりの記録が、まさに『ある死刑囚との対話』です。死刑執行前に正田が美絵と母に残した手紙は、涙なくして読むことができないものです。
あんなに利己的で非人道的な罪を犯した人間が、人生の最後に、こんなにも優しく落ち着いた心持ちで死ぬことができるとしたら、宗教の力とはものすごいものだと、心から感じるのです。
だからこそ、加賀は正田を失ったのちにキリスト教の洗礼を受けたのではないでしょうか。最後に、正田が母に残した手紙の一部を転載し、今日のブログを終わることにします。
――夜明け。
まだ外はまっくらですが、おかあさんにもっとたくさん書いてあげたくて、起きました。よく寝たような、うつらうつらのなかに過ぎてしまったような、へんな気分です。おかあさんは? たぶん、ぼくのためにたくさん祈ってくださったことでしょう。ありがとう。もうすぐ、きょうの午前中にはいなくなってしまう、そう思って、今ごろまた泣いているの? ほんとうにごめんなさい。おかあさんの写真は笑っているのに。(中略)
さあ、おかあさん、七時です。あと一時間で出立する由なので、そろそろペンをおかねばなりません。
ぼくの大好きなおかあさん、いいおかあさん、愛に満ちた、ほんとにほんとにすばらしいおかあさん、世界一のおかあさん、
さようなら!
でもまたすぐ会いましょうね。だからあんまり泣かぬように。
さようなら、百万べんも、さようなら!
(髪の毛とツメを同封します。コレだけでよかった?)
今こそ、ぼくはおかあさんのすぐそば、いや、ふところの中ですよ、おかあさん!!――