夏は戦争について考えることの多い月です。広島で生まれた私なんぞは特に。もうすぐ8月も終わるので、少し平和について書いてみたいと思います。ちょっとしたことですが、未だに忘れられない思い出があります。
2001年に映画『千と千尋の神隠し』が公開され、夏休みの開始と同時に封切られました。秋に米国の同時多発テロがあった年のことです。8月の暑さのなか私は会社の同僚たちと一緒に広島市内の映画館で鑑賞しました。
🎵「呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい
かなしみは 数え切れないけれど
その向こうできっと あなたに会える
繰り返す過ちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る」
(『いつも何度でも』 作詞:覚和歌子、作曲:木村弓)
映画の内容はもちろんですが、私はエンディングに流れたこの曲の歌詞に、強く心を揺さぶられました。そのとき、広島原爆資料館にあるたくさんの遺品や写真が走馬灯のように頭に流れたのです。
広島市立の各学校の平和教育は、本当に徹底したものがあります。8月6日の登校と黙祷、普段の平和学習、被爆者からの講演等。隣接する安芸郡熊野町に引っ越したとき、その違いを強く感じました。
広島市教育員会が、平和学習をいかに重視しているかを他の市町村に住むと実感するのです。今年、『はだしのゲン』が平和教育の教材から削除されることとなり報道でも大きく取り上げられました。
差し替えとなるプロセスについてはNHK等でも取材されていますが、時代と共に教材が変わるのは仕方のないことなのかもしれません、ただ私はこれについて意見する立場にはありません。
今日言いたいのは、教育が人に与える影響についてです。私が広島に生まれていなかったら、『千と千尋の神隠し』を見ることが、原爆や平和について思慮を巡らす結果になったでしょうか?
私の場合、被爆2世であるという特殊性を加味しなければならないとしても、広島市で教育を受けた人間の『はだしのゲン』についての強い想いは、他の市町村で育った人間とは異なります。
そして『千と千尋の神隠し』のエンディングの歌詞も、広島市民の幾人かは、平和記念公園の慰霊碑に刻まれた言葉 〜安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから〜 を思い起こすと思うのです。
映画作品自体の感動もあり、最後の歌詞が流れてきた時に、何故だか涙があふれて止まらず恥ずかしい思いをしたことをお伝えしておきます。
🎵「こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される
はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ
海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから」
最後に、原子爆弾により亡くなられた十数万人の方を含め、ウクライナやシリア、イエメンなど全世界のあらゆる戦争犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げます。