この週末6日7日と、5年ぶりに開催された「四国こんぴら歌舞伎大芝居」を観に行ってきました。琴平を訪れるのは本当に久しぶりです。生で歌舞伎を見るのは三十数年ぶりでしょうか。汗
いやぁ、行って本当に良かった。プラチナチケットを入手するのに結構苦労しましたが、2022年に大改修された金丸座が誠に素晴らしい。小さくとても狭いのですが、それは舞台にも近いということ。
歌舞伎を初めて観劇したのは、上京して間もない頃の歌舞伎座。坂東玉三郎の美しい舞踊も、舞台が遥かに遠いと伝わらないわけです。その後も一度行きましたが、何となく歌舞伎から離れていました。
あの頃もっと裕福で舞台近くの席を確保できていたら印象は違っていたかもしれない。新入社員にとって歌舞伎はかなりの高額チケットです。舞台芸術としての歌舞伎の本質は理解できてなかった。泣
給料も増え無理すれば歌舞伎も観に行けただろうに、当時はバレエやオペラの方に夢中でした。特に身体表現は、キリアン、フォーサイス、あるいはピナ・バウシュのダンスに魅了されていた。
土曜日の『四ッ木戸火の見櫓の場』、いわゆる櫓のお七の「人形振り」は圧巻でした。日本の古典芸能にあんな高度な身体表現があるとは知らなかった。いや気付かなかった。日本人のくせにダメなやつです。
八百屋お七の名は、井原西鶴の『好色五人女』で有名ですよね。授業でも出てきたかもしれません。「人形振り」は人形浄瑠璃の人形の動作を真似て、人の強い想いを表現する高度な技法です。
今回は若手の中村壱太郎がお七を演じました。聞けば日本舞踊の吾妻流七代目家元を兼ねると言う。さすがに素晴らしい演技です。「人形振り」を生で、それも間近に見たのは初めての体験でした。
カニングハムに始まるポストモダン・ダンスは、まさに身体の解体を目指し、キリアン等の代表的なシンフォニック・バレエに繋がる系譜です(この辺りはかつてこのブログにも触れましたので省略)。
人間の恋愛感情等の強い想いを人形の姿で表現する「人形振り」は、すでにポストモダンとも言える手法だと感じました。人間が人形浄瑠璃となって、人や人形を上回る感情を表す、まさに「止揚」です。
結局人間は何者かに操られる存在だというアンチテーゼでもある。愛や恋については、まさにそう感じさせられる事象ですよね。舞台で中村壱太郎が人形から人間に戻る瞬間に僕は鳥肌が立ちました。
翌日曜日の『沼津』も感動的でしたよ。松本幸四郎と中村鴈治郎が、旅の演出で私の真後ろの狭い道を予想外に通っていく。演技する幸四郎の裾が背中に触れた時、僕も人形のように固まりました。笑