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抽象化と具体化 〜166回〜

大学生の頃、様々なアルバイトをしました。割と長く続いたものに塾の講師とカフェバーのバーテンダーの2つがあります。まったく領域は異なりますが、なんか性に合っていたんでしょうねぇ。

 

カフェバーって分かりますか? 80年代にブームとなったお洒落な「パブ」なんですが、インテリアデザインに凝って、流行りのカクテルやパフェなどのスイーツを提供する若者ターゲットの飲食店のことです。

 

店員には僕らのような大学生もいるが、昼の仕事もしながら夜だけカフェバーで働く人もいました。その従業員の方お一人が、フォークを添えるべきケーキに、何故かよく間違えてスプーンを添えていました。

 

ケーキには、このフォークを添えて出してくださいと何度か注意したのですが、たまにパフェ用のスプーンを添える。その方がある日、僕に言われたのです。「私にはスプーンとフォークの見分けがつかないのだ」と。

 

位相数学(トポロジー)においては、スプーンとフォークは同じものとされる。刃や歯の数は問題ではなく、連続的な変形による変換可能性に注目するため、どちらも1つの連続した物体として見なされる訳です。

 

日常生活においては、スプーンとフォークの見分けがつかないのは困るはず。ただ、彼は売り上げの計算や料理のサーブや段取りに関しては全く問題がないのです。今思い出しても不思議です。

 

10年前に、名著『具体と抽象(細谷功著)』が出版されました。「抽象」こそが人間を人間たらしめる概念であり、その代表例としての数学や言語が、人間と動物とを決定的に異なる存在にしているのだと。

 

実務が「具体」レベルで行われざるを得ない中、その上流レベルで大きな方向性や将来のビジョンを決定する「抽象」化能力をいかに高め、「抽象」と「具体」のバランスをどう取るべきかを示す、とても良い本です。

 

この中にーー抽象度の高い概念は、見える人にしか見えません。抽象化というのは、残念ながら「わかる人にしかわからない」ーーと記されている。フォークをスプーンと間違えた彼はある意味、トポロジー的抽象度が高い訳です。

 

人間の能力は千差万別。それぞれ補い合って何とか生き延びるしかありません。抽象化は個人の能力が重要となりますが、たった1人のエリートの過ちが世界を狂わせることは、歴史が証明しています。