阿南準郎さんが7月30日に亡くなられました。享年86歳。個人的にもお付き合いをさせていただいていたので本当にショックです。いつもきちんとした身なりで、おしゃれで優しくてかっこいい、憧れの方でした。
中国新聞の報道によると「大分・佐伯鶴城高から1956年に広島に入団。堅守の三塁手として故古葉竹識氏と三遊間を担った。68年に近鉄へ移籍し、70年に引退。15年間の選手生活で通算1415試合に出場し、746安打。
引退後は近鉄のコーチを務めた後、74年に広島に復帰。75年の古葉監督の就任とともに1軍コーチに昇格し、広島の黄金時代を支えた。古葉監督の勇退を受け、86年に監督に就任し、チームを5度目のリーグ優勝に導いた。89年にフロント入りし球団本部長などを務めた。」
僕らの世代では、まさにカープ5度目のリーグ優勝を導いた名監督。つい「阿南監督」と呼びそうになる名将でした。僕が出会った頃は、すでにカープ球団の幹部であり経営に関わられていました。
僕の妻はフリーのアナウンサーで、広島のある異業種交流会の司会を長年務めていて、会員である阿南さんに若い頃から可愛がられていました。僕が阿南さんと親しくなったのも、妻との結婚がきっかけでした。
結婚が決まったお祝いに、広島にある高級すき焼き屋で夫婦揃ってご馳走になったのですが、40歳を過ぎていた僕は元々食が細い方ですしアスリートでもありません。せっかくの特上牛肉がなかなか消費できない。汗
「まだまだ食べられるでしょう?」と、阿南さんは容赦なく次々と鍋にお肉を入れられるのですが、期待に応えることができません。先発に指名されたのに、次々と四球を出してしまう若手投手の気持ちです。
翌日、お礼をするためカープ球団までご挨拶に伺いました。まだ広島市民球場のあった頃です。その時、阿南さんから言われた一言が今でも忘れられません。「矢野さんは人から嫌われたりしない、誠実な人だと思うよ。」
その頃、営業部長に昇格したばかりで、社内からもクライアントからも批判されたり叩かれたり、重圧に耐えるのに必死だったせいか、阿南さんにもつい自分を卑下した物言いになっていたのでしょうね。
出会ったばかりの僕のことを100%信じてくださった阿南さんに感激しました。「いろんな人を見てきたから、大体分かるんだよ」と仰った笑顔にどれだけ救われたことか。振り返れば、感謝しかありません。
その後の結婚披露パーティに、ゲストとして立ち寄ってくださった阿南さんはスピーチで「麻里ちゃん(妻のこと)は、司会者としてイベントをすぐに仕切りたがるので、家庭内でも気をつけてくださいね」との妻の取扱注意事項をお伝えいただきました。
僕の力不足もあって、妻の仕切りについては、それを食い止めることができず、結婚してからずっと仕切られてばかりの毎日ですw 誠実な者同士だから阿南さんとはすぐ分かり合えたのかなぁ? お前はちゃうやろ!と外野からの声も聞こえてきそうだけど。
阿南さん、ゆっくりと休んでください。心からご冥福をお祈り申し上げます。本当にお疲れ様でした。