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お盆と終戦と蚊取り線香 〜172回〜

 終戦記念日です。そしてお盆です。幼い頃、お盆と終戦記念日とが重なっていることで、僕は戦争や原爆で亡くなった人たちがこの世に帰ってくる日がお盆だというような妙な勘違いをしていました。

 

お盆になると、日中戦争の思い出を語る祖父の家に親戚が集まり、花火大会に出掛けました。大人たちはビールを片手に祖父の話に耳を傾け、そばには祖父の若き勇姿を想像する僕たち子供がいました。

 

国鉄横川駅の北側にある広島市打越町に祖父の家があり、昼過ぎから親戚が集まり出すと、煮しめや枝豆を肴に宴会が始まります。温暖化も今ほど進んでおらず、広島の街もまだ扇風機だけで過ごせる穏やかな8月でした。

 

豆が4つ入っている枝豆を子供たちが競って探し、大人たちの肴を奪って邪魔したりしていました。夕方近くになり、みんな揃って太田川河川敷に向かうと、茣蓙(ござ)を敷いて花火見物の場所を確保する。

 

広島市もまだ人口回復途上、場所取りも今ほど激しいものではありません。8月6日の原爆忌と灯籠流しに始まり、祖父の戦争話と花火、15日の戦没者追悼式と翌16日の晩にある盆踊り。戦争とお盆の行事がごちゃごちゃだったのです。

 

1945年8月15日正午の昭和天皇による玉音放送をもって日本は戦闘行為を停止し、太平洋戦争は終わったとされます。6日の広島と9日の長崎、2発の原爆投下直後のことで、米国は「原爆が戦争を終わらせた」と主張する。

 

幼い僕の頭の中でお盆と終戦がごちゃごちゃになっていたように、終戦と原爆の因果関係がごちゃ混ぜになっている可能性があります。原爆投下によって日本が敗戦を決めたという理屈は現実的とは思えません。

 

ドイツが5月8日に無条件降伏したことで、すでに連合軍は日本本土に迫っていました。中立国であったソビエト連邦も宣戦布告して、日本への攻撃を千島列島や満洲で開始。北海道上陸さえ時間の問題だったのです。

 

戦争終結のための原爆投下など本当に必要だったのでしょうか? 自らの言い訳として米国が原爆の必要性を吹聴したとも受け取れる。ソ連に負けじと急いだ大罪の責任をすり替えているとの見方も否定できないでしょう。

 

戦後敗戦国としてGHQの統制下、原爆の違法性についてはタブーとされ、言論を押さえつけられてきた訳です。帝国主義による侵略の罰として原爆を落とされても仕方がないなんて理屈は到底理解できません。

 

蚊取り線香の匂いを嗅ぐたび、祖父の家で過ごした夏を思い出します。日中戦争を生き延びた祖父は彼の言う通り、人に銃を向けたと思います。だから彼の家族や友人の頭上に原爆が落とされても仕方がないとあなたは言うのでしょうか?

 

憲法12条にある通り、自由と権利を保持するための「不断の努力」を我々は忘れてはいけない。来年は戦後80年、昭和100年。沖縄問題も核廃絶も、少しでも前に進めなければ多くの戦争犠牲者に顔向けできません。