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アラン・ドロンと異邦人 〜173回〜

アラン・ドロン 『太陽がいっぱい』の1シーン
アラン・ドロン 『太陽がいっぱい』の1シーン

8月18日にアラン・ドロンが亡くなりました。「世紀の二枚目」と言われたフランスの大俳優です。彼を最も有名にしたのは、ルネ・クレマン監督の代表作『太陽がいっぱい』でしょう。

1960年に公開された時、アラン・ドロンは24歳。誠に美しい青年でした。青年の「美」の本質については、かつてこのブログでも語ったことがありますが、彼の演技はまさにそれを感じさせるものです。

貧しく孤独な主人公であるトム・リプリーの危うく儚げな美しさを象徴する頼りない眼差しと繊細な口元は、アラン・ドロン以外に演者が思い浮かばない。それほどの名演だったと思います。

ネタバレになるので詳しくは書きませんが、イタリアの夏の景色と海とセーリング・ヨット。まばゆい太陽、若い男女の滑らかな肌と汗。嫉妬と屈辱と殺人。ルネ・クレマン、さすがの名演出です。

「海と太陽と殺人」といえば、僕が高校生の時、もっとも感銘を受けた小説がフランスの哲学者カミュの書いた『異邦人』でした。名画座で『太陽がいっぱい』やゴダールの『気狂いピエロ』を見たのも多分、同じ頃のこと。

『気狂いピエロ』の主人公フェルディナンはダイナマイトを体に巻き、顔を青く塗り自爆する。カメラは地中海を映し、フランスの詩人アルチュール・ランボーの『永遠』の一節が朗読されエンディングを迎えます。

――Elle est retrouvée.

  Quoi ? — L'Éternité.

  C'est la mer allée

  Avec le soleil――

――見つかったぞ

  何が? 永遠が

  太陽と

  融合した海が――

これらのフランスの作品群は僕の生きる基調を作ったような気がしています。あの頃、学校の勉強など全くせずに、フランスの映画や音楽、詩や哲学にのめり込んだからこそ、今日の妙な(変な?)僕があるわけで。笑

僕がフランスを初めて訪れたのは26歳のこと。まだ肌もみずみずしいw青年の頃の話です。ローマからパリに入ったのですが、パリの街は、フランス革命200年でお祭り騒ぎ。この話は以前にも書きましたね。

ローマで、アパレルブランドの「Henry Cotton’s」のお店をのぞいた時、調子のいいイケメンの店員が手を広げて言いました。「Are you Alain Delon?」英語の苦手な人にも分かるようにゆっくりと「アー・ユー アラン・ドロン?」。

日本人が知っている最も有名な映画スターはアラン・ドロンだった訳で、お決まりの褒め言葉だったんでしょうね。ほめられて悪い気がする人間はいない。薦められるがままGパンを試着します。

「まるで、君のために生まれてきたようなGパンだ!(英語です)」鏡の前に並ぶイケメン店員の股の位置に僕の腰があるのにね 笑。シャツやコートを次から次に薦めてくるので、Gパンだけ買って退散することに。

Henry Cotton’sの店員はアラン・ドロンほど美しくはなかったが、はだけたシャツから覗くソバカスの多い白い肌はそれを彷彿とさせるものがあった。――お前の方が、よっぽどアラン・ドロンに似てるよ――日本語の捨て台詞を残して店を出たのも、もう35年前のこと。

永遠に美しき偶像、アラン・ドロンのご冥福を心より祈ります。