最近、井伏鱒二の作品を無性に読みたくなって、黄ばんだ文庫本を手に取っています。『山椒魚』、『黒い雨』、『荻窪風土記』、初期から晩年まで、暖かさと冷徹さの交錯した独自の世界はとても深い。
広島県庁本館のロビーに井伏鱒二の肖像があります。名誉県民顕彰第1号だったと思います。県庁の写真は、眼鏡を掛けた短髪の丸顔で、何となく井伏のユーモラスな人柄を感じさせる。
井伏と『人間失格』を著した太宰治との仲は有名で、師弟関係と言えるものでした。自殺した太宰の葬儀の時、自分の子供が死んでも泣かなかった井伏が、声を上げて泣いたことを河盛好藏が書き残しています。
太宰治の『富嶽百景』の中にこんな一文があります。――井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆっくり煙草を吸いながら、放屁なされた。いかにも、つまらなさうであつた。――
太宰が、井伏と富士山を一緒に見に行った時の表現です。屁をしたかしなかったかで師弟が言い争ったエピソードは、太宰の死後、井伏の文章に何度も登場し、いかに太宰を愛していたか感じさせます。
自然を愛し、人間を愛した井伏は、また釣り好きでも有名でした。岩波文庫にも『川釣り』という釣りに関する随筆集があります。この中に例外的に小説が一つあって『掛け持ち』というタイトルです。
主人公は内田喜十と言う番頭さん。甲州は篠笹屋という旅館の三人の番頭のうち、彼は末席。仕事も布団運びや三助(わかるかな?)を引き受けている。ミスをして女中頭に叱られるさえない中年男です。
一方、伊豆の東洋亭では、彼はまったくの別人。甲州でうだつの上がらない喜十さんは、伊豆では女中に一目置かれ「内田さん」と苗字で呼ばれるできる男。帳場でもくわえ煙草で新聞を読む立派な番頭なのです。
季節ごとに二つの旅館を「掛け持ち」していた喜十さんは、甲州のダメ番頭として迷惑をかけた井能定二(井伏鱒二のことかと笑)という客に伊豆で見つかってしまうが、井能の粋な計らいで面白可笑しく話が続いていく。
人間誰でも「掛け持ち」していますよね。会社では若い上司に頭が上がらないあなたも家に帰れば亭主関白なお父さんだったり。バイト先では優秀なリーダーのあなたも大学構内では底辺の学生だったり。
誰もが何らかの役割をそれぞれの場所で演じているんです。そう言う僕も、実は喜十さんと内田さんと2つの仮面を使い分けています。どんな仮面か知りたいですか? 知らない方が身のためですよ。ふふふ。