日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞を受賞しました。被団協が発足当初に加盟していた反核平和運動の全国組織である原水協は、原水禁、KAKKINの3つに分裂した歴史があります。
大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』は、1963年の第9回原水爆禁止世界大会における原水協常任協理事会の混乱からエッセイが展開します。やがて中ソの核兵器保持を巡って、翌年には原水協と原水禁に分裂する。
日本被団協は、翌々年の1965年に「いかなる原水禁団体にも加盟しない」と決定し、原水協からも脱退しました。平和を希求すべき反核運動の難しさは、この頃からすでにあったわけです。
被団協は、原爆被害を受けた被爆者「ヒバクシャ」の全国組織。政治背景は置いておき、原爆の実害を受けた方達が核兵器廃絶を訴える組織といえば分かりやすいでしょう。(国家補償等の目的もあるが。)
日本被団協の箕牧智之代表委員は、今回の受賞をこれまで活動を継続された先輩方の功績だと称え、3年前に亡くなった坪井直代表委員の「ネバーギブアップ」の言葉を受賞のインタビューで頻繁に使われます。
僕が小学生の頃、平和公園で座り込みの抗議活動の先頭には、いつも故森滝市郎広島被団協理事長の姿がありました。森滝さんの白髪で髭を蓄えられた凛とされた姿が僕の記憶に強く焼きついています。
大江が『ヒロシマ・ノート』に書いた「屈服しない人々」であるヒバクシャの弛まぬ活動が、まさに今、世界を動かそうとしていると感じています。もちろん、最後の被爆地であるべき長崎の方々も同様です。
『ヒロシマ・ノート』から少し長くなりますが、大江が今回の受賞に値すべき価値を「威厳ある」ヒバクシャの中に1965年当時から見出していた文章を、そのまま転記しておきます。
――広島の原爆は、二十世紀の最悪の大洪水だった。そして広島の人々は、大洪水のさなか、ただちにかれらの人間世界を復活させるべく働きはじめた。かれらは自分たち自身を救済すべくこころみ、かれらに原爆をもたらした人々の魂をもまた救助した。現在の大洪水、凍結しているが、いつ融けて流れはじめるかもしれない全世界的な大洪水、すなわちさまざまな国家による核兵器の所有という癌におかされている二十世紀の地球の時代においては、広島の人々が救助した魂とは、すなわちわれわれ今日の人間の魂のすべてである――
最後に、ヒロシマや平和、原爆にふれた僕の最近のブログを数編紹介しておきます。被爆2世として自分にできることは一体何か、いまだに僕の中にもどかしい気持ちが続いています。
2024年08月15日 - お盆と終戦と蚊取り線香 〜172回〜2024年08月06日 - 8・6の日に広島で想う(幸福の王子と原爆) 〜171回〜
2024年06月16日 - 平和ボケでいいじゃないか 〜165回〜
2024年01月06日 - 元広島市長 平岡敬さんのこと 〜146回〜