谷川俊太郎さんが11月13日に亡くなられました。享年92歳。日本で最も有名な詩人といえます。ひとことで言えば、彼の詩はありふれた言葉なのに鋭い。分かりやすくても深く心に響くものです。
『二十億光年の孤独』みたく、教科書に取り上げられるほど有名な詩がたくさんありますが、彼の死を知って、まず思い出したのが詩集「詩を贈ろうとすることは」の中の『ふくらはぎ』です。
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俺がおととい死んだので
友だちが黒い服を着こんで集まってきた
驚いたことにおいおい泣いているあいつは
生前俺が電話にも出なかった男
まっ白なベンツに乗ってやってきた
俺はおとつい死んだのに
世界は滅びる気配もない
坊主の袈裟はきらきらと冬の陽に輝いて
隣家の小五は俺のパソコンをいたずらしてる
おや線香ってこんなにいい匂いだったのか
俺はおとつい死んだから
もう今日に何の意味もない
おかげで意味じゃないものがよく分る
もっとしつこく触っておけばよかったなあ
あのひとのふくらはぎに
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死んでしまった自分が浮遊霊のように自分の葬儀を俯瞰している視点で描かれた奇妙な詩です。教科書に取り上げられるような優等生な詩もいいけれど、谷川の冷徹で不気味な一面を感じさせる怪作でしょ。
谷川が実は足フェチだということが分かる作品でもある。「もっとしつこく触っておけばよかった」いいですねー。僕もどちらかというとおしりより女性の足、いや脚に魅力を感じるので当時シンパシーを感じたのですw
もっと言うと(言わない方がいいんだろうけど)、僕は女性のひざのうらにできる八の字のエクボが好きなんですよね。ゴツゴツした男の脚には絶対できない。いやいや、そんな嗜好はどうだっていい。
「ふくらはぎ」としたところが、うまいですよね。おしりとか太ももとか言っちゃダメなんです。品格がなくなる。とは言え、「触っておけばよかったなあ/ひざのうら」じゃ、意味わからんしね。←しつこいw
「ふくらはぎ」とすることで、ちょっと失敗した感じが伝わる。しくったなぁ的な軽さです。「俺はおとつい死んだのに/世界は滅びる気配もない」わけで、自分の死なんて世界は無関心なんです。
カミュの『異邦人』のような、ニヒルだけど優しい無関心さを感じます。この1編だけで、谷川がかっこいい人だと分かります。日本にとって大切な人物をまた一人亡くしました。心よりお悔やみ申し上げます。
追伸:ふくらはぎの詩といえば(しつこいw)、『祝婚歌』で有名な吉野弘の『或る朝の』で妻の元気さを象徴する語彙に「白い脛(はぎ)」があって、彼もまた足フェチだ思うのですよ、どうでもいいけど。笑