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平和と争いとの共存について 〜186回〜

広島平和記念資料館
広島平和記念資料館

日本被団協のノーベル平和賞授賞式が10日、ノルウェーの首都オスロの市庁舎で行われました。長崎で被爆した田中熙巳(てるみ)代表委員が22分に渡り演説をされ、心動かされるものがありました。今日はこれについて感じたままを書きますね。(関連ブログ

演説冒頭の日本被団協活動の基本要求2つのうち、――一つは、日本政府の「戦争の被害は国民が受忍しなければならない」との主張に抗い、原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償われなければならないという私たちの運動――(演説文より)

これに対し、現在でも政府はそれを実行していません。これは広島市民さえ知らないことかもしれないし、戦後数十年を経て多くの国民には興味のないことかもしれない。でもこれからの日本、いや未来にとって、とても重要なことなのです。

――日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けております。もう一度繰り返します、原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府はまったくしていないという事実をお知りいただきたい――

戦争責任は国家にある。政府が勝手に始めた戦争の被害者である被爆者は補償されることなく、ただただ死んでいったという事実があります。黒焦げになって手当を受けることもなく苦しみ続け、地べたに転がされたまま死んでいった十数万という人たち…。

何とか生き延びても被爆者は悲惨な状況にいました。――生き残った被爆者たちは被爆後7年間、占領軍に沈黙を強いられました。さらに日本政府からも見放されました。被爆後の十年間、孤独と、病苦と生活苦、偏見と差別に耐え続けざるをえませんでした。――

アメリカは自らの非人道的行為をかたくなに隠し続け封印しようとしたわけです。いまだにアメリカは原爆投下の正当性を主張するが、それなら何故7年間もの間、日本国民に沈黙を強いる必要があったのか。日本政府はこれについて敗戦国としてまったく無力でした。

そして、戦後80年を迎えようとしている今、日本はまだアメリカの「核の傘」の下で安全を得ようとしている。原爆であれほど多くの国民を犠牲にしたのに核抑止論の上に平然と立って、何かを変えようとするでもなく、アメリカの言うがままの姿勢を貫いています。

日本被団協の不断の活動により、2017年7月7日に国連本部において122ケ国の賛同をえて「核兵器禁止条約」が制定されました。残念ながら(当然とは言え)核保有国は、これに参加していません。唯一の被爆国である日本がこれに参加していないことは全く理解できない。

ウクライナ戦争でプーチンが核兵器を匂わせつつ蛮行を続けています。中東の状況は悪化の一途を辿り、核使用の可能性は否定できない。戦争は国がするもの、政府が決めたこと。国民はその指示に従うだけです。原爆投下を決定したのはアメリカ国民ではありません。

人間が争うのは本能です。争いごとが地上からなくなることはありえない。戦争を無くすことは正直、難しいでしょう。でも核を使うことは人類が破滅することにつながる。争いごとのルールを作らなければいけない時代はとうに来ているわけです。

――一発の原子爆弾は私の身内5人を無残な姿に変え一挙に命を奪いました。その時目にした人々の死にざまは、人間の死とはとても言えないありさまでした。誰からの手当ても受けることなく苦しんでいる人々が何十人何百人といました。たとえ戦争といえどもこんな殺し方、こんな傷つけ方をしてはいけないと、私はそのとき、強く感じたものであります。――

少なくとも日本はすみやかに「核兵器禁止条約」に批准すべきです。いろいろ理屈をこねくり回して先延ばしにしてはいけない。日本政府はうーじゃぱーじゃ(広島弁:つべこべの意味)言うとらんと、被爆死十数万の御霊に申し訳ないじゃろうが。ええ加減にしんさい。