· 

年末に人間と猿の違いについて考える 〜187回〜

『猿の惑星』(監督:フランクリン・J・シャフナー)
『猿の惑星』(監督:フランクリン・J・シャフナー)

2024年も残り2日となりました。今年は元日早々に石川県能登地方で大きな地震が発生。地球温暖化による異常気象は世界中に広がり自然災害が多発し、人為災害とも言えるウクライナ戦争はもうすぐ3年になろうとしています。さらに中東情勢は先が全く見えません。

2025年はいったいどんな年になるのでしょうか? 100年に1度と言われる自然災害は毎年のように起こっています。元旦に災害が起こるのはもう勘弁してほしい。南海トラフが動くのもそんな先のことではない。自然災害より大きな人為災害の危機も目前に迫っています。

皆さんは『猿の惑星』という映画をご存知でしょう。多くのシリーズがあり、最近もリメイクされたものが上映されましたが、初めて映画化されたのは1968年。原作は仏作家ピエール・ブールが1963年に発表した小説『猿の惑星(La Planète des singes)』です。

僕が10歳の時、TBS系の「月曜ロードショー」で初めて見て強いショックを受けたことをよく覚えています。衝撃的なラストシーンでした。ご存知の方には無駄な文章かもしれませんが、若い方や見たことのない方のために簡単に説明しておきましょう。

あらすじは…人口冬眠状態にあった4人の宇宙飛行士を乗せて地球への帰還を目指していた一隻の宇宙船が、地球と同じ気温や大気を保つある惑星の湖上へ不時着をした。そこは高度な知能を持つ猿が支配する惑星で、人間は野蛮で猿たちの家畜に過ぎなかった。

生き残った船長のテイラー(チャールトン・ヘストン)は、言葉を発したことで猿たちに裁判にかけられるが、猿の文明がかつての人類の遺産であると知り、逃亡を企てる。そして逃亡中に、海岸に埋まった巨大な「自由の女神」像を発見し、エンディングを迎えます。

映画が作られた時代背景を考えると、まさに米ソ冷戦時代であり、核の脅威の真っ只中だった訳です――未知の惑星ではなく核戦争後のニューヨークにいることを知って膝から崩れ落ちるテイラー船長――20世紀の映画史上に残る名シーンと言えるでしょう。

 

『二匹の猿』ピーテル・ブリューゲル(父)作
『二匹の猿』ピーテル・ブリューゲル(父)作

猿といえば、ピーテル・ブリューゲル(父)の絵画に『二匹の猿』(1562年)があります。鉄の鎖で繋がれた2匹の猿がアーチ型の窓枠に座り、背景にはアントワープ港が描かれていて、一見穏やかなこの動物画は、実は人間社会の暗部を映し出しています。

 

アントワープ港は当時の交易の中心地であり経済的繁栄を象徴している。でも、この繁栄の裏には搾取や支配が存在することをブリューゲルは表現しています。特に猿の鎖は、貿易で得た富の代償として失われた自由や倫理的価値を示唆するものです。

 

運命に従うだけの猿は、つながれている鎖が縦に向きを変えれば鉄の輪から外れる状況に気づいていない。この姿は、自由を獲得できる簡単な権利にさえ盲目となっていることを表します。この絵を観る者全員に自省するよう促しているとも解釈できる訳です。

 

人間社会の構造的な矛盾や抑圧を寓話的に問いかけてくる。猿の無力さは人間の無力さと重なっていく…。現代においてもウクライナ戦争や環境破壊、また労働搾取といった問題に通じるテーマが『猿の惑星』同様、時代を超えてメッセージを発信し続けます。

 

500年前に描かれた『二匹の猿』は、技術革新と持続可能性を軸にした社会変革が進む2025年への視座をも提供してくれます。ブリューゲルの象徴的表現は、人間の在り方を批判的に捉える視点を示し、サステナブルな未来のビジョンさえ暗示する名画です。

 

来年最初のブログは、このピーテル・ブリューゲル(父)の絵画から、2025年をどう生きるべきかを考えたいと思います。今年もくだらない僕の駄文にお付き合いくださり感謝いたします。来年が皆様にとって良い年になりますよう心からお祈りします。