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真っ赤はさみしいかあたたかいか 〜192回〜

『はなれ瞽女おりん』(1977)(C)表現社
『はなれ瞽女おりん』(1977)(C)表現社

盲目の女性旅芸人「瞽女(ごぜ)」をご存知ですか? 竹の杖を携え、縦一列になり何人かで連なって歩き、訪問地で三味線を弾き歌う。室町時代には既にその存在が文献に記されていて、越後を中心に本州、九州と多数の組合があったということです。

瞽女は、唄を披露する代わりに、村人からひと握りのお米や金銭を受け取り、稼ぎとしていました。夜は村人が無償で提供する瞽女宿(ごぜやど)に泊まり、辺地の農村まで訪ね歩いて娯楽を提供する。民俗芸能の伝承者でもあったわけです。

越後だけでも、かつては三百軒ほどの瞽女宿があったとのこと。明治時代から昭和の初期には多数の瞽女が新潟県を中心に活躍していましたが、太平洋戦争を経て、昭和の後期には完全に姿を消してしまいました。 

『はなれ瞽女おりん』(1977)(C)表現社
『はなれ瞽女おりん』(1977)(C)表現社

第1回日本アカデミー賞を受賞した映画『はなれ瞽女おりん』(1977年)は岩下志麻主演(最優秀主演女優賞)、篠田正浩監督の名作です。男関係を持つなど不行状な娘は、瞽女の組合から追放され「はなれ瞽女」と呼ばれてひとりぼっちでの生活を余儀なくされました。

 

「おりん」を演じた当時36歳の岩下さんの妖艶さは筆舌に尽くしがたい。僕はまさに自分が36歳くらいの時に、仕事で還暦の岩下さんと食事を共にしたことがあります。彼女の凛としたオーラに圧倒され、ほとんど会話もできませんでした。汗

 

閑話休題。瞽女をライフワークとして生涯追いかけて取材し執筆、絵にも描いた作家が、斎藤真一(岡山県倉敷市出身、1922年〜1994年)です。仕事で訪れた秋田市の秋田県立美術館で、斎藤の企画展が行われていて、初めて見た彼の絵に僕は驚きました。

 

赤い世界、まさに「真っ赤」なのです。斎藤は、盲目である瞽女たちの喜びや悲哀、孤独を「赫(あか)」色で表現しました。赫は「血」の色であり、人間の根源的な「怒り」や「歓喜」、「悲しみ」そして「憎悪」までも表わす奥深い作品だと感じました。

 
盲目であった彼女たちは抑圧や差別に耐えながらも、稀有な価値を村人に提供し続けたわけです。人道的な困難は多々あったと思われますが、視覚に頼らずに音楽や言葉だけで人々を心酔させる神聖な力を備えていた特別な存在と言えます。

『越後瞽女日記』斎藤真一
『越後瞽女日記』斎藤真一

斎藤真一の著作『瞽女物語』(1977)は、彼の描いた瞽女の絵画が印象的ですが、瞽女との出会い、瞽女の組織やしきたり、瞽女歌など、瞽女とのやり取りから紡がれた文章も心を打つものがあります。最後の瞽女とも言える杉本キクエさんの言葉を引用します。

 

「私たちは盲人ですから、一日でも他人様にご厄介にならないと生きていかれないのです。他人様を大切にすることが、私たちの生きる道なんですよ。どんなにつらくても、他人様に失礼するようなことはできませんし、瞽女の世界はきびしく、わがままは許されないのです」(斎藤真一 『瞽女物語』)

 

トランプ氏が、国家元首であるにもかかわらず、多様性を否定するような発言を繰り返しています。人間の尊さは皆同じ。さらに言えば、障害を乗り越えた才能は、パラリンピアンに例えるまでもなく、人の人生さえ変えるほど崇高なものです。

 
ダイバーシティにこそ、人類の明るい未来があると信じます。老・若・男・女、そんな区別をするのは前時代的であり、とんでもなく時代遅れの思考と言えます。全人類があらゆる差別を超えた先にある「威厳あふれる存在」となることを祈っています。