
小学校に上がるまで広島市の榎町に住んでいました。商業地である十日市の隣町として当時は問屋が多数ありましたね。おもちゃ問屋には卸値で一般客に販売している店もあり、怪獣のソフビ人形も安く入手することができたのです。
幼い頃の僕は扁桃腺をよく腫らす子で、2、3ヶ月に一度は高熱で寝込んでいました。正月やお盆など、家族で旅行に行くタイミングでいつも熱を出し、楽しい計画を中止させる迷惑なやつだったのです。汗
小学校に上がる前に扁桃腺をやっつけようと、何故だか半分だけ切除しました。全摘せずに出っ張った部分だけをちょんぎる手術をしたのです。局所麻酔はしたものの口を開けてホッチキスのような器具でガチャリと切られると、喉に血が流れてメチャ怖かった…。
手術に耐えたご褒美として、翌日、モーターで歩くブリキのロボットをおもちゃ問屋で買ってもらいました。喜んで興奮しすぎたせいか、数日後には扁桃腺を腫らして寝込んでしまい、両親はかなり心配したようです。効果のない手術だったんだなぁ。泣
そんな問屋街の中に母が毎日のように通う個人商店がありました。スーパーマーケットの小型版のような昭和の時代にはよくあった食料品&日用雑貨店です。母に手を引かれ、この店でよくお菓子を買ってもらったものです。
手術をした後のこと。閉店間際に半開きのシャッターの下をくぐり、夕食用の調味料だったか食材だったかを買う母に連れられ、この店を訪れたことがあります。ブリキのロボットを大切に抱えた僕は、店のシャッターが閉まるのを恐れていました。
シャッターのような大きな機械は人間が制御できないものだという得体の知れない恐怖を感じていたのだと思います。店のシャッターは指定の時間が来ると自動で閉まり、そこから逃げ出せなくなるような気がしたのです。
「帰ろうや、 帰ろう! シャッターが閉まるよ」僕が母に訴えると、店のおじさんが言いました「閉まりゃせんよ。シャッターはわしが、あそこにあるボタンで開け閉めするんじゃけぇ」それでも、僕の恐怖は変わらなかったのです。
今、自国第一主義や保護主義が進行し、シャッターが閉まっていくように世界が次々と分断されている気がします。さらにウクライナやガザ地区では、シャッターの中に閉じ込められるような、否それ以上の恐怖を感じている人が多数いると思うのです。
結局は優位性の問題なのかもしれない。例えば経済的あるいは軍事的に上位の国力を持っている大国がシャッターを操る権利を持っているのではないか。シャッターのスイッチを握っているのが、お店のおじさんなら良いのですけどね。笑
いやいや、笑い事じゃない。もしかしたら、そいつが持っているのはシャッターのスイッチじゃなくて、核兵器のスイッチなのかもしれません。本当に気をつけなきゃ、世界は取り返しのつかないことになりますよ。