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大阪・関西万博とキラキラ感 〜196回〜

提供:公益社団法人2025年日本国際博覧会協会、株式会社大林組 撮影:株式会社伸和
提供:公益社団法人2025年日本国際博覧会協会、株式会社大林組 撮影:株式会社伸和

大阪・関西万博が4月13日に開幕します。もう1ヶ月を切ったのにチケット販売の不振が問題となっていますよね。海外のパビリオンはその多くがまだ工事中で、完成も遅れていると聞きます。

 

さらに最大のシンボルである大屋根リングの土台が600メートルに渡り崩落し、これから補強工事が強いられるとか。過去にメタンガスによる爆発事故もありましたが、本当に会場は大丈夫なのか不安になります。

 

僕は、新卒で入社した乃村工藝社で「瀬戸大橋博'88」や「青森EXPO'88」と立て続けに博覧会の現場を走り回っていました。まだまだ新入社員でよく分かってない頃ですが、それほど工期が遅れた記憶はありません。

 

バブル全盛期で、まさに、いけいけどんどん(懐かしいなぁ、この響きw)の時代。世の中は地方博覧会ブームで、翌年には「YES'89(横浜博)」、名古屋「デザイン博」、福岡「よかトピア」と業界はまさにお祭り騒ぎでした。

 

初めて博覧会の施工に携わったのは「瀬戸大橋博'88岡山」でした。会場である岡山県児島市(現倉敷市)の旅館に乃村の社員が泊まり込み、ほぼ合宿生活。朝早く作業着に着替えて、自転車で博覧会会場まで向かいます。

 

入社2年目だった僕はほぼ見習い生で、まずパビリオン周辺の清掃から一日が始まります。何もない更地から段々と外膜ドームが建設され、内部に機械類を運び、組み立てる様を業務として体験できたのは貴重だったと感じます。

 

建築・内装が竣工、引渡しを完了し、運営サイドが会場に入ってきてからの華やかさは言葉にできません。特に未来的なコスチュームを身にまとったコンパニオンが整列する姿は、若い男子だった僕にはキラキラと輝く忘れられぬ瞬間でした。笑

 

さて万博とは、国際博覧会とも言われ、国際博覧会条約に基づいて行われる特別な博覧会なのです。日本では「大阪万博'70」「沖縄海洋博'75」「つくば万博'85」「花博'90」「愛・地球博'05」がありました。僕が乃村を離れたのは花博の企画途中のこと。

 

小学2年生の時に、貧乏な我が家では大阪万博'70に行かせてもらえなかった泣。乃村から転職し、博覧会業務から遠ざかっていた僕は電通時代の最後に「大阪・関西万博」に少しだけ関与していました。結局定年退社し、とても関わったとは言えません。

 

今回は一般客としてチケットを買って行くことになります。これまで博覧会を有料で見たことがないかもしれない(感じ悪い?)。いえいえ、仕事で管理する博覧会とプライベートで楽しむ博覧会とは全く別物でしょう。

 

今回の大阪・関西万博は、乃村の社員だった当時と比較すると、パビリオン演出はとてつもなくテクノロジーが進化しているだろうし、エンタメ性、快適性、ホスピタリティとすべての面で次元が違う体験を期待しています。

 

本当に予定通り事故なく開催していただきたいものですw