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秋祭りと薬莢

秋祭りの季節である。最近は日が暮れる頃から、子供たちが太鼓の練習をする音が聞こえてくる。今年はコロナのこともあるので、みんなが集まるのも大変だろう。

 

近所に「碇神社」と言う歴史ある神社がある。「碇」と言う名の通り、この辺りに船着場があったようだ。中世の頃の話である。

 

広島市中区の最北端に位置する「白島」が海であったとは、少々驚きだ。この話をすると長くなるので本題に戻そう。

 

秋祭りは、だいたい収穫を感謝する祭り「新嘗祭」として行われる。今後の繁栄を祈る意味で、1年で最も大切な祭りとされている。ちなみに春に行われる春祭りは、豊作を祈る「祈年祭」だ。

 

幼い頃、家族で碇神社の新嘗祭に行くのを楽しみにしていた。「碇太鼓」という古くから続く子供太鼓が、今も変わらず祭りの日には披露され、ちょうど昨夜がその当日であった。

 

小学校に上がったばかりだったろう。夕暮れ時に参拝をした後、家族と露店を見て回った。何か良いものはないかと母に手を引かれながら物色をしていたのだが、なかなか眼鏡にかなう品が見つからない。私は子供の頃から、こだわりが強い面倒くさいヤツであった。

 

「何か欲しいものはないの?」母がこんな優しいことを言うのは珍しい。やはりお祭りマジックなのだろう。若い男女が、だいたい祭りの夜に過ちを犯すという、あの神秘な力の影響に違いない。

 

小さな神社なので、露店を一巡するのもあっという間だ。欲しいものが見つからない。お面や綿菓子、りんご飴なんかじゃ、あまりに普通過ぎるのだ。父が言う「金魚すくいとか、射的はどうや?」——う~ん、あまり好きじゃない——ホンマにやねこい(広島弁で難儀な)子供じゃ。

 

困った父は、ポケットから鈍い金色の物体を取り出し「しょうがないのぉ、さっき拾ったけぇ、これやるわ」と私の小さな手に握らせた。——何これ?——「薬莢(やっきょう)よ。銃弾の抜け殻」——抜け殻?——

 

「ほいじゃあ、帰ろうか」人ごみの中を掻き分けて境内を後にした。家までの帰り道、薬莢をしげしげと見つめた。——なんで、こんなもんが落ちとったんじゃろう?——街なかの小さな神社である。

 

昭和40年代。広島はまだ危険なイメージの強い街であった。まさかヤクザの抗争が、こんな小さな神社で⁈ 祖父が警察官だったせいか、父は銃弾慣れしていたのだろうか。今思えば、ちょっとした事件だと思うのだが。

 

いやいや、今の広島はとても安全でキレイな街になった。どんどんGO TOトラベルで、お金を落としに来ていただきたい。あの頃みたいに、街なかに薬莢が落ちてるなんてことは絶対ない、いや多分ないと思う。わかんないけど。笑

薬莢(やっきょう)
薬莢(やっきょう)