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ごはんとYMO

矢野顕子の歌を初めて聞いたのは『ごはんができたよ』である。高校2年生の頃だから、1980年だったと思う。多分、翌年に糸井重里作詞のCMソング『春紅小唄』が大ヒットして、矢野顕子は誰もが知る人になったのではないだろうか。

 

♪ごはんができたよって

 かあさんの叫ぶ声

 ボールが見えなくなった

 とうさんも帰る頃さ

 楽しかったよ きょうも

 うれしかったんだ きょうも

 ちょっぴり泣いたけど

 こんなに元気さ

 

1970年代の終り頃、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)がブレイクし、全国的にテクノポップブームが巻き起こっていた。イエローマジック(黄色魔術)の名前の通り、黄色人種独自の音楽を目指し、シンセサイザーとコンピュータを駆使した東洋風で斬新な世界を創り上げた。

 

テクノカットと呼ばれた、もみあげをすっぱりと切り落とすヘアスタイルもYMOから始まったものである。私も天然パーマではあったが、もみあげだけは切り落としていたため、林家ペーのような不思議な髪形で高校に通った。あれは直毛でないと似合わないヘアスタイルだと思う。

 

矢野顕子に話を戻そう。彼女は、当時の私の中ではYMOのゲストメンバーの一人という認識であった。ラジオから流れてきた『ごはんができたよ』は、いきなり私の頬を叩いた。ふざけたような旋律と確信を突いた歌詞、独特の歌声。風邪をひいて一人ベッドで臥せっていた私の頭の中でメロディーがいつまでも渦巻いた。

 

♪淋しかったんだ きょうも

 悲しかったのさ きょうも

 ちょっぴり笑ったけど

 それが何になるのさ

 

 義なるものの上にも

 不義なる者の上にも

 静かに夜は来る みんなの上に来る

 いい人の上にも 悪い人の上にも

 静かに夜は来る みんなの上に来る

 

独身時代、東京や大阪の狭い部屋で一人風邪で寝込んでいると、不意にこのメロディが浮かんできた。毎日、良いことや悪いことが起こり、嫌なことや素敵なこともある。そんな様々なイメージが時間を超えて、大脳の中を彷徨い、眠ったり起きたりを繰り返す。朝になると汗をびっしょりかいて、熱が下がっている…。

 

結婚してから、風邪をひいてもこの曲が浮かばなくなった。というか歌そのものを忘れていた。何故だろう。ごはんを作って看病してくれる人ができたからなのか。新型コロナ感染者が、ここ広島でも急に増え始めた。昨日は112人だ。独身や単身者の多くは、外食もままならず、一人狭い部屋の中で弁当を食べ眠りにつくしかない。正月に帰省するのも憚られる状況だ。

 

「ごはんができたよ」と言ってくれる人がいるのは、本当に素敵なことだ。愛する家族のためにごはんを作るのは、本当に素晴らしいことだ。私は料理ができないので、偉そうなことは言えないが、毎日食事を用意してくれる妻には本当に感謝している。早く普通の生活に戻り、離れていた家族みんなが揃って普通に食事できる日が来るのが待ち遠しい。