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スピーチが本当に嫌いなんです

いよいよ東京オリンピックが始まりますね。コロナ禍が続いていて、多くのイベントが中止されているなかでの無観客開催。開催すること自体に関しても賛否両論があって難しい。

 

大きなイベントと言えば、セレモニーがつきものです。いわゆる「式典」と言われるものですが、私はこれまで仕事柄、たくさんのイベントに裏方として立ち会ってきました。

 

大きなセレモニーになればなるほど進行中は緊張します。イベントには想定外の事態がだいたい起こるもので、台本に書かれたスケジュール通りに進むことの方が珍しい。毎回ハラハラドキドキです。

 

そんな経験ばかりしてきたせいか、自分自身がイベントの表舞台に立つのが大嫌いです。飲み会の乾杯や締めの一言くらいならまだしも、ちゃんとした会議の冒頭挨拶や披露宴のスピーチとか勘弁してほしい。

 

大勢の客が遠方から集まる重たい会議や、一生に一度の披露宴(最近は一度だけでもないかw)で、自分の言動ひとつがセレモニーを左右すると考えると舞台の上でめちゃ緊張してしまう。

 

イベントや式典の本番は場数を踏んで相当慣れているはずなのに、自分が演じるのは全然ダメなのです。知っているからこそ、心底怖いということが世の中にはあります。

 

丸谷才一は、私の好きな作家のひとりです。好きと言うよりレスペクトですね。あの人の文作技巧については、作品を読んでいて感心を通り越して寒心するほど上手いのです。

 

私が最も優れた短編小説だと思う『樹影譚』について三浦雅士が言っています。「解釈の零度のような場所が暗示されている」と。う~ん、良く分からんな。

 

話が逸れてしまいました。その抜群の表現者である丸谷才一は、「挨拶」に関する本も多く書いています。挨拶には一家言ある大先生なのです。

 

そんな大先生が様々な「挨拶」の場で原稿を準備し、それを読んでいたということを先日知りました。芥川賞選考委員もつとめた大御所が公の場で挨拶文を読んでいたなんて…。

 

丸谷才一は「挨拶」の重要性を知っているからこそ、用意した原稿通りに読まなければならなかったのでしょう。それは台本通りにイベントを進行する使命感に通じるような気がします。

 

ということで今後、私は挨拶やスピーチをするとき、原稿用紙を舞台の上で堂々と広げて読むことにします。文化勲章受章者がされていたことですから、きっと文句を言われることもないでしょう。

 

コロナ禍が明け、これまで通りイベントが行われるようになれば、どんどんスピーチを承ります。ま、そもそも口を滑らせやすいのを知ってる人は、私のところに挨拶の依頼に来ることは無いんですけどね。笑