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ホントに「まじめ」が良いのか?

――世の中を不幸にするのは、まじめな人たちです――そう書いたのは永江朗です。『おじさんの哲学(原書房)』という国内の知識人を「叔父さん」に例えて紹介するユニークな本があります。

 

鶴見俊輔を取り上げたセクションにこの表現が出てきます。――まじめな人が戦争を始める――とも。ふまじめな人は世間にちょっとした迷惑を掛けるかもしれないけど、たかが知れているという。

 

鶴見俊輔が拘置所にいる時、一緒に居た元ボクサーの殺人犯について「人を殺しちゃうくらいだもの、いい人間だよ」と答えたという逸話があります。

 

普通の人なら踏みとどまるところを、いい人間、まじめな人間だからこそ思いとどまることができなかったのだと鶴見は考えるのです。

 

真剣に重く考えすぎると、人間は本当に恐ろしい存在になる。自分の正義の下では許せないからと人を平気で傷つけたりする――そんな世の中に漂う危うい空気を今、感じています。

 

ほとんどの人たちは、世間でバランスをとって生きている「やじろべえ」みたいなものだと思います。まじめを突き詰めていけば、右や左に傾いて、最後はどちらかにバタリと倒れてしまう。

 

倒れたところに待っているのは、どちらにしろ極端でこわい世界でしょう。永江の言葉を借りれば、今は、むしろふまじめくらいの生き方がちょうどいいのかもしれない。

 

ふまじめと言うと誤解があるかもしれないので、広島弁でいう「ええかげん」がピッタリ来ますね。偉そうに書いていますが、何を隠そう僕はめちゃええかげんな人間ですw

 

♪ええかげんな奴じゃけ

 ほっといてくれんさい

 アンタと一緒に

 泣きとうはありません

 

 どこへ行くんネ

 何かエエ事あったんネ

 住む気になったら

 手紙でも出しんさいや

 (吉田拓郎 『唇をかみしめて』)

 

世の中の非条理さを前にクラクラしてしまう。でも正面からは受け止めず、まじめ過ぎるデメリットをしっかり分かって「ええかげん」にかわしバランスを保っている。

 

そんなええかげんな感じが良いと思うのです。36歳でこの曲を作った拓郎さんは凄いなぁ。今日は台風14号も通り過ぎて、広島には青空が見えてきました。よい週末になればいいですね。