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『らんまん』の最終回に想ふこと 〜135回〜

大震災後に万太郎たちを勇気づけた「ムラサキカタバミ」
大震災後に万太郎たちを勇気づけた「ムラサキカタバミ」

昨日NHK朝ドラ『らんまん』が終わりました。毎日、楽しみに見ていた方も多いと思います。植物学者:牧野富太郎をモデルにした「槙野万太郎」と、その妻:壽衛こと「寿恵子」の物語。

 

植物バカで金銭感覚のない駄目な「万ちゃん」を支えるしっかり者の「寿恵ちゃん」。主人公はどちらかといえば寿恵子の方だったような 笑。植物図鑑ができた時の2人のやりとりに思わず落涙してしまいました。

 

最後のシーンで植物採集中に現れた亡き寿恵子の姿は、2人が出会った頃のように初々しく美しかった。それに応じる万太郎も瞬時に若かりし頃の姿に戻っていて、このカットがドラマをハッピーエンドで終わらせてくれました。

 

過去、今、未来の区別が消えてしまうこんな映像は、最近よく使われる手法といえます。ただドラマや映画の演出としてではなく、高齢者が実際に経験する認識の変化に似たようなことが起こっていると言われています。

 

「老年的超越」という言葉をご存知でしょうか? スウェーデンの社会学者ラルス・トルンスタムが1989年に提唱した概念です。高齢期における「物質主義的で合理的な世界観から、宇宙的、超越的、非合理的な世界観への変化」を指します。

 

学術的に難しいことは置いておいて、老年的超越の特徴として、下記のようなことが論文に列記されています。

 

○生と死を区別するものはないと意識するようになる

○死は1つの通過点と感じるようになる

○自分への興味関心が薄れる

○身体機能や容姿を気にしなくなる

○表面的な人間関係がどうでもよくなる

○死の恐れがなくなる

 

寿恵子の好きだった「ボタン」
寿恵子の好きだった「ボタン」

他にも書けばたくさんあるのですが、宇宙的意識・自己意識・社会との関係という 3 つの領域で様々な意識変容が起こることが裏付けられています。学者によって違いますが、85歳を過ぎるとこの傾向は顕著だとか。

 

単に認知症になっただけではないかとも疑われるのですが(失敬)、実際調査によって検証されていることです。94歳で没した牧野博士も、このような意識レベルにあった可能性があります。

 

壽衛は55歳に亡くなっているので、実際に植物図鑑を見ることはなかったはず。ただ時間や空間に対する合理的な考え方が変容し,最終的には宇宙という大いなる存在につながるという老年的超越下では、見えることもあったでしょう。

 

誰もが若かりし頃に求め続けた金や物や性といった「物質的な幸せ」を超えた「自分と宇宙(植物)とが一体となる幸福感」を、牧野富太郎は生まれた時から感じて生きてきた人なのかもしれません。

 

還暦を過ぎてもいまだに金と欲の亡者である私なんぞは、本当に85歳でこの境地に達することができるのでしょうか? まずは健康的な生活を送り、夫婦そろって85歳まで生き続けることを目標にせねばなりませんね。笑