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カカ・ムラド(中村哲医師)の命日を迎えて 〜141回〜

ペシャワール会 WEBサイトより
ペシャワール会 WEBサイトより

2019年12月4日、中村哲さんは支援先のアフガニスタンで銃に打たれて亡くなりました。享年73歳。明後日、亡くなられてちょうど4年が経ちます。

 

中村さんは35年にわたり、アフガニスタンで病気に苦しむ人々を救う活動を続けた医師です。ひどい干ばつのため泥水を飲むしかなかった患者たちのため、井戸を掘って飲料水を確保し、2000年からの6年間で掘った井戸は1600ヶ所にもおよぶと言います。

 

干ばつがさらに激しくなり地下水も枯れてきたため、2003年から「緑の大地計画」として、アフガニスタン東部を流れるクナール川に、飲料水や灌漑のための用水路を作り始めます。当時、すでに56歳。とてつもない大事業のスタートでした。

 

「マルワリード」と呼ばれるこの用水路は完成までに7年を要しました。用水路の終点は「死の谷」と呼ばれるガンベリ砂漠。今では砂漠の中に緑地帯が生まれ、水路はキラキラと真珠のように輝いていて(マルワリードとは現地の言葉で真珠のこと)、柑橘や野菜など多くの作物が育てられています。

 

本業は脳神経内科であった中村さんは、水路工事などもちろん門外漢。独学で土木を学び設計図も自分の手で書いたとか。巨大なショベルカーも自ら運転し、工事現場の最前線を指揮したと言います。ものすごいバイタリティです。

 

そんな中村さんでしたが、2019年12月4日、ジャララバードにおいて、いつも通り車で工事現場に行く途中に武装集団に襲撃され、同乗していた5名と共に死亡。10月7日にはアフガニスタンでの長年の活動が認められ、同国の名誉市民権を授与されたばかりでした。

 

中村さんの遺体を日本に搬送するため、12月7日にカブール空港で追悼式典が行われ、アフガニスタン大統領のアシュラフ・ガニー自らが棺を担ぎました。今も襲撃犯人やその動機など分からないままです。

 

長年戦争が続くアフガニスタンでは、生きるために兵隊になるという構図があります。家族を養うために軍隊に入るしかないわけです。用水路で農場が増えれば、農業で生計が立てられ、兵隊をやめる人も増える。

 

実際、中村さんが作った用水路の近くでは、兵隊をやめて農業に従事できる人がたくさんいるとのことです。中村さんの下記の言葉が残っています。

 

ーー乾いた大地で水を得て、狂喜する者の気持ちを我々は知っている。水辺で遊ぶ子供たちの笑顔に、はちきれるような生命の躍動を読み取れるのは、我々の特権だ。そして、これらが平和の基礎であるーー

 

アフガニスタンのために尽くし、親しまれ、敬われていた中村哲さん。カカ・ムラド「ナカムラのおじさん」こと、中村哲さん。尊敬すべき日本人のひとりを決して忘れぬよう、私のつまらぬ意見など加えず、今日はお伝えをしておきます。

 

最後に中村さんの名言をもう一つ。

ーー戦争をしている暇はないーー