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親愛なるミス・ブランチへ② 〜147回〜

昨年末に引き続き『ミス・ブランチ』の第2弾です。先週金曜日12日に東京で実物を見てきました。透明アクリル樹脂のなかで飛び交う赤い薔薇の群れ。透明感と浮遊感、そして無重力感。やはり倉俣ワールドそのものの椅子でした。

 

用賀駅で乃村工藝社時代の同期と待ち合わせし、世田谷美術館に向かいます。東京に勤めていましたが横浜村の住民だった僕には用賀周辺は未開の高級住宅街です。天気も良く美術館のある砧公園は木洩れ日が心地よい場所でした。

 

美術館で最初に目についた展示は、地味だけど1982年の「ISSEY MIYAKE」銀座松屋ショップの図面。久々に百貨店テナントの平面図や展開図を見ました。図面を見ただけで空間が浮かんでくるのも乃村で鍛えられたお陰です。笑

 

僕は乃村で博覧会や博物館の仕事をした後、広告会社のI&Sに移り、セゾングループの空間プロデュース業務を多数やりました。西武百貨店やロフト、パルコ等々の商業空間。あの頃セゾンはカルチャー発信の寵児と言える存在でした。

 

当時I&Sのオフィスは、近藤康夫デザイン事務所や内田繁デザイン研究所の図面で溢れていました。「空間プロデュース」が流行った時代です。渋谷西武ほかISSEY MIYAKEの空間デザインは彼らの先輩となる倉俣の代表的な仕事でしょう。

 

閑話休題、百貨店のテナントショップは、持って数年の命。仮設というと言い過ぎですが、ファッションブランドのショップ空間は、洋服同様に流行の変貌が激しく、たびたびリニューアル工事が行われる。

 

そのせいで倉俣のショップデザインは現存するものがありません。今回の展示品も実物は、ほとんどがファニチャー。ファサードや柱、床面と壁面、什器が統一空間を形成する店舗の展示はありません。あるのは図面のみ。

 

「図面」は、僕にとっては若かりし頃の仕事の原点です。博覧会の巨大パビリオンから百貨店のテナント、そしてイベントの仮設環境まで、ペラペラの図面から全ての構造物が生まれる。だからこそ倉俣自身が書いた図面は僕には特別なものに感じます。

 

今回の企画展には倉俣の書斎を再現したかのように蔵書も展示してあり、新潮文庫版の日焼けした『欲望という名の電車』がありました。一部の評論に倉俣がリメイクした映画に触発されて『ミス・ブランチ』を創作したとありますが、違います。

 

『欲望という名の電車』の中で、主人公ブランチ・デュボアの着る花模様のプリントのドレスが、彼女の人格を象徴するかのように描かれます。まさにこのドレスこそが倉俣の椅子『ミス・ブランチ』の「図面」なのです。

 

やっと本題に入りましたが、ブログにしては長すぎる文章になってきました。この続きは次回、「親愛なるミス・ブランチへ③」に譲ることにして(まだ続くの!?)、いったん筆を置かしていただきます。一体いつ終わることやら。笑